ボストン・レッドソックスの熱烈なファンであり、コストコに勤めるとてもユーモアに溢れた愉快な青年。元恋人のエリンを心から愛してはいるが、デートをドタキャンしたり、大好きな野球観戦を優先し待ち合わせにはいつも遅れたりとダメ男の典型である。そのため、エリンとは付き合ったり別れたりを繰り返している。
2013年4月15日、エリンを応援するために行ったボストンマラソンのゴール地点付近で爆弾テロに遭う。命は助かったものの両脚を失った彼は、なんと犯人を目撃していた。彼の証言をきっかけに事件は一気に解決し、”ボストン ストロング”=ボストン復興の象徴として一躍ヒーローとなる。
しかし同時に日々の生活もろくにできない現実の前に絶望し、ヒーロー像とはかけ離れた弱い自分とのギャップにもがき苦悩する。
そんな中母(パティ)が自分を助けた男=カルロスに会うことを勧めてくる。初めは気がのらないジェフだったが、ようやく彼との再会を決意。そして彼との出会いは、やがてジェフ自身に新しい気づきをもたらしていく…。
ジェフの元彼女。勤め先の病院のチャリティのため、2013年ボストンマラソンを走った。偶然マラソン大会の前日にジェフに遭遇し「ポスターを描くよ。ゴールで待っている」という言葉をかけられるもエリンは半信半疑。「どうせ来ない…。いつもそうだから…。」彼女はそう思っていた。
しかし当日応援に来たジェフ。彼は両脚を失い、彼女は自責の念に悩まされる。そして自分のサポートを求めるジェフを一人にすることはできず、仕事も辞め、彼の家に引っ越し、全力でサポートすることを決める。
息子をメディアに露出しようとするパティとはしばし対立するも、懸命にジェフをそばで支える。しかし次第に彼自身もエリンのサポートに応えれなくなっていき、二人の関係は再び悪化。ついにはジェフは、エリンに決して言ってはならない言葉を投げてしまう… 。エリンは別れを決め、彼の家を出ることを決意。彼女の選ぶ道は?二人の行く末は?
息子を心から愛するとてもパワフルなジェフの母。お酒が大好きで呑んだくれの一面もある。ジェフの父とは離婚し、ジェフと二人暮らしをしている。
突如とテロに遭った息子にも明るくいつも通り振る舞い、また取材やメディアに出ることに積極的で、息子が”ボストン ストロング ”の象徴となったことをとても喜ぶ。「息子の素晴らしさをただ多くの人に知ってもらいたい」と思う息子への愛は一方で、ジェフやジェフの彼女・エリンに受け入れられず空回りしていく。メディアへの露出に否定的なエリンとは日々衝突が増え、また彼女の肩を持ち、自分の想いを理解してくれない息子に苛立ちを募らせていく。
次第にそれはジェフエリンの仲にも影響を及ぼしていき…。
自分なりの全力の愛を全力で息子に捧げる母の愛の行方は…。
彼には二人の息子がいた。長男は海軍に入り戦死。戦死の話を聞いたとき、彼自身もバンに乗り込み火を放ったが、知らせに来た海兵達に助けられた。そして弟であるもう一人の息子は兄の死、そして父の行動がトラウマとなり自殺。何もできなかった自分を悔やみ、彼は今うつ病や、PTSDに悩む人たちのために活動をしている。
テロ事件当日、彼は仲間を応援しながら、息子たちを想い国旗をゴールで配っていた。そして爆発は起きた。爆発直後、危険を顧みずすぐに助けに向かった場所で目に入った人物こそ、死んだ息子と同年代の青年=ジェフだった。ジェフはカルロスの手によって命をとりとめたのだ。
そして事件以来初めて会うジェフに語りかける彼の本当の想い。その言葉はジェフを再び変えていく…。
ジェフが勤めるコストコの上司。ジェフがミスをおかしても温かく見守り、彼を尊重してくれる。事件にあった当日も病院に訪れるが記者と間違われ、ジェフの事故のショックの渦中にある家族達に冷たく対応される。ジェフの父に「両脚のないやつをまた雇うか」と問われる彼。彼は答える。「再雇用はしません。辞めてもいない人間を再雇用できませんから。そしてジェフをクビにもしませんから」と…。
パティと離婚をし、今はジェフと離れて暮らす父。そして叔父、叔母。みんなとてもクレイジーで独特。でも共通するのは、脚を失ったジェフを昔と変わらず、何か特別扱いをする訳ではなくありのままを受け入れているということ。それは友人たちも同じだった。お酒を飲んで酔っ払ったり、酔っ払って公園でふざけて遊んだりとバカなことを皆でするのは相変わらず。彼らはそれぞれの愛の形で、純粋にジェフと向き合い支えていくのだった…。
本作では実際に彼を助けた多くの人たちが出演している。彼の理学療法士や医師、看護師、彼の義足をつくったポールとグレッグ・マルティーノ兄弟も出演。また彼らは映画のシーンのチェックも行った。真似る、見せかけではなく、できるだけリアルで信憑性のあるものを撮るために…。
スポーツをこよなく愛するボストン市民。スポーツの試合の日には、仕事を休むこともあるくらい、熱狂的なスポーツ狂が多い。ボストンマラソン爆弾テロ事件当日、事件発生の数時間後から一つのスローガンが生まれ、ツイッター上に急速に普及した。それこそが“ボストン ストロング”である。各イベントや野外広告などでも常に”ボストン ストロング”は唱えられ市民は一つとなっていった。本作の中でもボストン市民が一つとなって復興に向かっていく… 。
ボストンマラソン爆弾テロ事件発生後、一番最初に行われたフェンウェイパークでの試合、スタジアムでは”We are one. We are strong. We are Boston. We are Boston strong”とボストンを勇気付けた。スタジアムでは”B STRONG”のロゴが入ったキャップとTシャツが販売され、寄付金など合わせ1ヶ月で約2億2千万円が集まり、テロ事件の被害者の生活サポートや遺族の心のケアに使われた。そしてその年、ワールドシリーズを6年ぶりに制覇、地元での優勝は95年ぶり、前年度地区最下位からのシリーズ制覇は史上2球団目だった。そしてこの時の胴上げ投手は、現読売ジャイアンツ所属の上原浩治投手。再起を誓った都市に、これ以上ない励みを与えた。まさに上原浩治投手も日本を代表するボストン ストロングの象徴の一人であった…。
2013年4月15日14:45頃2度の爆発が発生。この日はアメリカにとっては特別な日、「パトリオット・デイ(愛国者の日)」だった。犯行声明はなく、目的も不明。試写3名、負傷者282名※を出したテロ事件。
犯人は難民として渡米した2人の兄弟。アメリカ社会に馴染めず反抗に至ったのではと指摘されている。凶器は”圧力鍋爆弾”。「アラビア半島のアルカイダ」(AQAP)というテロ組織が出しているウェブマガジン「インスパイア」に掲載されていた爆弾であり、兄弟が組み立てた可能性が高い。
近年、「ホームグラウンテロ」と呼ばれる海外の過激思想に共鳴した国内出身者が起こすテロや、思想的に感染し、単独か2〜3人の少人数で行う「ローンウルフテロ」と呼ばれる事件が多発しており、ボストンマラソン爆弾テロ事件はこの両方の面を併せ持っている。

※The Boston Globe調べ